いきなりですが、
あなたは自分を追い込んでしまう方ですか?
こんなの自分らしくない...。
自分はこうじゃないといけない...。
みたいな感じで悩んでしまう方でしょうか?
もしそうなら、今回の話があなたのその考え方を変えるかもしれません。
今回はある思考実験を通して「自分とはなんなのか?」という問いに対してる考えを説明します。
目次
1.思考実験「転送装置」
2.何をもって「自分」とするのか?
3.「自分」は自分の頭の中にしか存在しない
4.まとめ
1.思考実験「転送装置」
まずはある思考実験を紹介します。
あなたは、仕事でブラジルに行くために、都内某所を訪れていました。
そこは空港ではなく転送所です。
転送装置を使って一瞬でブラジルのサンパウロに行く予定になっていました。
「これが転送装置か...。」
あなたがそう呟くと、
「初めてですか?」
転送所の女性職員が声をかけてきました。
「はい。初めてなんです。本当にこの機会でブラジルに飛べるんですか?」
「そうです。ブラジル以外にもどこへでも一瞬で移動できますよ。」
「それはすごい。」
あなたは一つの疑問が頭に浮かんできたので質問しました。
「この転送装置で、どうやって私をブラジルに運ぶのですか?空も飛ばずに一瞬で...。」
「ええ、一瞬で着きますよ。お客様はこの装置の中でじっとしているだけで、20秒もあればスキャンと転送が終了します。」
「要するに、私の体をスキャンして、そのデータをブラジルに飛ばすということですか?」
「さようでございます。」
あなたはある一つの懸念がありました。
「私はどうなるんですか?」
「・・・? お客様はブラジルのサンパウロに着きます。」
「いえ、そうではなくて、ここにいる私はどうなるのでしょうか。スキャンしたデータをブラジルに飛ばした後、東京にいる私はどうなるのでしょうか?」
職員は質問の意図を理解して、説明を始めました。
「お客様のデータをブラジルのサンパウロに送った直後、東京にいらっしゃるお客様は一瞬で分解されますので、この転送装置には何も残りません。同じ人2人になっては困りますからね。もちろん、分解に痛みは伴いませんし、すでにお客様はサンパウロに着いているわけですから、分解されることすら知らないままブラジルの地を踏むことになります。」
あなたは転送装置の中に入り、じっとその時を待ちました。
そして1分後、目の前の扉が開かれ、さっきまでそこにいた女性職員の姿はありません。
確かにここはブラジルのサンパウロのようです。
「言われた通り何ともなかったけど、東京の自分は分解されたんだよぁ。」
さて、東京のあなたはどうなったのでしょうか?
サンパウロのあなたはあなた本人ではないのでしょうか?
2.何をもって「自分」とするのか?
この思考実験にあなたはどう感じたでしょうか?
「転送元の人物と、転送後の人物は同一人物でしょうか?」と尋ねると、同一人物ではないという答えが良く聞かれるようです。
あなたもそう感じたでしょうか?
ここで一つ思う事があります。
僕達人間は日々、古い細胞を捨て、新しい細胞を作ります。
一年前のあなたと、今日のあなたとでは細胞レベルの話をすれば同一人物とは言えないかもしれません。
しかし、この場合は一年前も今日も自分だと感じる人が多いのではないでしょうか?
片や自分と全く一緒の構成の自分を自分ではないと感じ、片や自分とは異なる構成の自分を自分と感じています。
これはどういうことなのでしょう?
また一つ例を出します。
例えば、あなたが会社のパソコンのデータを家に持ち帰って作業したいと思ったとき、USBメモリにデータをコピーするでしょう。
そして家に帰ってそのデータを使用したいと思ったときに、「それが本物であるか?偽物であるか?」など気にするでしょうか?
気にしないと思います。
なんなら、そのデータに編集を加えて、後日会社にそのデータをさらにコピーし直すこともあると思います。
この場合は、コピーであったものが本物になり替わるわけです。
このように、データの場合は「そのデータがコピーされる前と同じかどうか」など気にしないのにも関わらず、「自分」の話になった途端、本物かどうかを気にし始めます。
はたして、人間とデータは何が違うのでしょうか?
なにをもって「自分」とするのでしょうか?
3.「自分」は自分の頭の中にしか存在しない
僕の考えとしては、正直言って、データも人間も物理的には変わらないと思っています。
物理的には。
結局データと違う所は、僕達人間は「自分を自分だと認識すること」なのではないかなと思います。
つまり、物質としては転送元と転送後は同じであるけれども、「自分は他でもない自分一人だ。」という認識があるからこそ、「自分が本人かそうじゃないか」など気にするのです。
データの場合はそこに自我を感じられないため、機能が同じかどうかだけを気にするというわけです。
何が言いたいかというと、
「自分が思う自分なんて自分の頭の中にしか存在しない妄想」
ということです。
もちろん、その妄想が一概に悪いものというわけではありません。
ただ、妄想があるが故に得することもある一方で、損をすることもあるでしょう。
そこで思うのが、最初に質問した自分で自分を追い込んでしまう人です。
僕もそっちの人間のように感じます。
だからこそ、そんな自分がそういう人たちに言ってあげたいことは
「自分が勝手に決めた自分に囚われないで」
ということです。
結局ありもしない、勝手に作り出した妄想に苦しめられているのです。
それは真面目で、責任感が強く、優しいからこそなのでしょう。
とても尊く素敵な人です。
しかし、それで自分が一番苦しんでいたのだとしたら、それほど悲しい事はありません。
4.まとめ
今回はある思考実験を通して、「自分とはなにか」ということ、そしてそれに囚われないでほしいという話をしました。
このような哲学的な問いに対しては、絶対これ!というような答えは出にくいように思います。
だからこそ、柔軟に考えて、少しでも自分に得になるような答えを探していきたいものです。
そして、僕のその答えでこれを読んでいるあなたが少しでも良い方に変わるのであれば、それは僕にとっても凄く幸せなことだと思うのです。
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