【人生に迷う人へ】現代でも通じる孔子の名言を紹介 part4
part4です!
part3はこちらをどうぞ!
今回も孔子の名言を5つ紹介していこうと思います!
1.子曰く、三人で行くとき必ず我が師あり。其の善き者を択びてこれに従い、其の善からざる者はこれを改む。
(三人で行動すれば、きっとそこに自分の師となる人がいる。善なる人を選んでそのよいところを手本とし、不善なる人を見ては、わが身に振り返ってそうならないよう改めることだ。)
これは前に紹介した、人の振り見て我が振り直せのような言葉です。
この言葉が、その時の言葉とは別の意味を持っている所として、「三人で行動すれば、きっとそこに自分の師となる人がいる」という部分です。
三人というのは比喩でしょうが、それほど身近に学ぶ所がある人がいるということでしょう。
何かを学ぶと言うと、何か大きな事を成し遂げた人に教えを請いたい気持ちになりますが、実は家族や友人など身近な人にも学べるところは多くあるのです。
そう意味では、「他人の良い所を見つける眼を養え」ということかもしれません。
2.子曰く、我は生まれながらにして之を知る者に非ず。古を好み、敏にして以て之を求めたる者なり。
(私は生まれついたときからものの道理が分かっていたわけではない。昔のことを好んで学び、一生懸命に探究してきた人間なのだよ。)
孔子といえども最初から賢かったわけではないと言います。
思えば、プロのスポーツ選手や大きな事を成し遂げた人も同じようなことを言っている人ばかりです。
自分とそれらの人を比べて、「自分には才能がないから」と諦めるのは簡簡単ですが、本当にそれは彼らと同じくらいの努力をした後に言っているのでしょうか?
僕は才能否定派です。
というか、あって欲しくないと思っている派です。
「才能」というのは諦める理由になりやすすぎます。
諦めるのは、やる前ではなく必死に頑張った後で良いかもしれません。
3.子曰く、之を如何せん、之を如何せんと曰わざる者は、吾れ之を如何ともすること末きのみ。
(「これをどうしましょう」「あれをどうしましょう」と自分から尋ねてこない者には、私としてもどうしようもないね。)
結局は何事も自分のやる気次第です。
もし仮に名講師と呼ばれる人が教えたとしても、授業を受ける人が嫌々受けているのなら身につかないでしょう。
なにかを待つのではなく、自分から進んで歩き出したことだけが自分の身になるのでしょうね。
4.子曰く、憤せざれば啓せず。悱せざれば発せず。一隅を挙げて、三隅を以て反せざれば、即ち復せざるなり。
(わかりたくてうずうずしているのでなければ、教えてやろうとは思わない。表現できずもどかしそうにしているのでなければ、示してあげない。四つの隅の一つを示したら、あとの三つを自分で探すくらいでないと、それ以上教えてやらない。
これは教訓というより、孔子の姿勢の話ですね。
教える側も、教えてもらいたいという人に教えたいと思うものです。
そう思えば行儀よくするのではなく、教えてもらいたいとガツガツ押し気味にいった方が、相手も喜ぶかもしれません。
5.子曰く、古者、言をこれ出ださざるは、躬の逮ばざるを恥じてなり。
(昔の人が言葉を軽々しく口にしなかったのは、実行が言葉に追いつかないことを恥じたからだ。)
あなたの周りにもいませんか?
口では大きいことを言っているのに行動が伴っていない人。
それは傍から見ているととても滑稽に見えます。
逆にできない事は口に出さずにできる事だけを口にする。
そして、いざやるべき時にその力を発揮する。
どちらが格好いいかは一目瞭然でしょう。
僕はそんな人になりたいと思っちゃいますね!
あなたはどちらになりたいですか?
今回も孔子の言葉を5つ紹介しました。
少しでも役に立てるような言葉があったなら幸いです。
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