1940年から1945年にかけて、ヒトラー率いるナチ党が主にユダヤ人を対象とした強制収容を行いました。
その虐殺の犠牲者は600万人以上にものぼるとされていて、人類史上最悪の犯罪ともいわれています。
その中に虐殺を目的とした絶滅収容所に送られたヴィクトール・フランクルというオーストラリアの心理学者がいました。
彼はその状況でも生き延び、後に当時の体験を元にした本を執筆しています。
そしてその中で彼はこう語っています。
「人間はひとりひとり、このような状況にあってなお、収容所に入れられた自分がどのような精神的存在になるかについて、なんらかの決断を下せる」
「生きることを意味あるものにする可能性は、自分のありようががんじがらめに制限される中でどのような覚悟をするか」
と。
1.死の選別
ヴィクトール・フランクルは1944年にアウシュビッツに送られました。
アウシュビッツは当時からガス室や焼却炉による大虐殺で有名で、そんな場所に1台の貨車につき80人を乗せた列車が到着しました。
当然、彼らの頭の中は恐怖と不安で満ちていましたが、片隅ではこうも考えていました。
「噂ほどじゃないのかもしれない、なんだかんだこれまでのようにうまくいくハズだ」
精神医学では「恩赦妄想」という症状があります。
これはある絶望的な状況、例えば死刑囚が死刑の直前に土壇場で自分は恩赦されると空想し始めたりすることを言います。
奇跡や理由のない幸運によって自分だけは助かると思うわけです。
大小の違いはあれど彼らはこの恩赦妄想を抱いていました。
しかしその気持ちは一瞬でへし折られることになります。
親衛隊と呼ばれる看守側の人間が彼らの前に立ちました。
彼はひとりひとりの顔をチラッと見て、人差し指をある時は左、ある時は右と動かしていくのでした。
そしてフランクルの番がやってきす。
フランクルはできるだけしゃんと見えるように背筋を伸ばしました。
その結果、彼を差した指は右へと動いていくのでした。
これが何を意味するのかはさっぱり分かりませんが、とりあえずそれに沿って「右グループ」と「左グループ」に分かれ、別々の場所へ移動していきます。
そしてその日の夜になって、フランクルはこの2グループに分かれた意味を知ることになりました。
彼を含めた「右グループ」は働けそうだと判断された結果、労働を強制されるグループ、もう一方の「左グループ」は働けないと判断され虐殺されたグループだったのです。
この第1の選別に選ばれなかった「左グループ」は全体の約90%を占めました。
2.感動の消滅
生き残ったとはいえ彼らを待ち受けていた環境は想像を絶するものでした。
持ち込んだ物の一切を奪われ、一日の食事はほんの少量のパンと味のしない水のようなスープで飢えをかろうじて満たすだけ。
風呂も入れず、規則を破った者は当然、看守の気に障っただけでも罰を与えられました。
そのような状況で彼ら収容者に「ある変化」が起きました。
家族に会いたいという気持ちや、この劣悪な環境を嫌悪するなどの内なる感情が徐々に死んでいったのです。
例えば他のグループの仲間が、こん棒で殴られながら何時間も糞尿のなかを往復させられる罰を受けていると、最初の内はまともに見ることができず、目を逸らしてしまいます。
しかし、心が麻痺した後は仲間が死んだ時でさえ、その死体から昼食の残りの泥だらけのじゃがいも、自分のより多少ましな靴、上着などをはぎ取り、自分のものにするのです。
その後「看護人」を呼び、彼らと一緒に死体を外に放り投げ片付けを終えます。
そして彼ら収容者は運ばれてきた味のない水のようなスープを貪るのでした。
今しがた、外に放り投げた死体が窓の外で据わった目をこちらに向けながら。
通常の状態では自己嫌悪なんてレベルじゃないほどのこのような非情な行動でさえ、極限の状況と慣れによって何も感じなくなるほどに彼らの感情は破壊されたのです。
3.「自分」は自分で決める
このような状況では生きることを諦める収容者も出てきました。
というのも労働の成果が認められると褒美としてタバコを数本支給されるのですが、それをスープと交換して、かろうじて命を繋ぐのがこの環境で強いられていたことです。
しかし生きることを断念した人は、その支給されたタバコを吸い、最後の瞬間だけでも楽しんだのでした。
この状況では仕方がないことです。
しかし一方で通りすがりの仲間に思いやりのある言葉を投げかけたり、なけなしのパンを譲るような英雄的な人もいました。
これはいかに肉体の自由を奪ったとしても精神的な自由は奪うことはできず、どんな人間でいるかは自分自身で決められるということを示したのです。
4.その「苦しみ」は自分だけのもの
多くの収容者の心を悩ませていたのは「この収容所で生き延びれるのか」ということでした。
生き延びれないならこの苦しみの全てに意味はない、と。
しかしフランクルが考えたのは「これらの苦しみや死はなんのためにあるのか?」という逆のことでした。
なぜなら「生き残るかどうか?」という問いは、ほとんど運で決まるものだからです。
彼はそのような運で決まるような生に意味を感じず、自分で意味を決めることができる生こそが人生の意味だと考えたのです。
フランクルの仲間の一人に、収容所に入って間もないころに天と契約を交わした男性がいました。
彼が願った内容は「自分が苦しんで死ぬ代わりに、愛する人には苦しみに満ちた死をまぬがれさせてほしい」というものでした。
もちろん、これは本当にそうなるかどうかは分かりません。
むしろ願いが叶わない確率の方が高いでしょう。
ですが、この契約を結んだその瞬間、彼にとって苦しむことも死ぬことも意味のないものではなくなったのです。
彼の人生は幸せな出来事だけでなく、この理不尽な犠牲さえも深い意味に満ちていました。
彼ら収容者はこの苦しみにこそ人生の意味を見出し、だからこそ二つとない何かを成し遂げることができると考えたのです。
そしてフランクルは言います。
「およそ生きることそのものに意味があるとすれば、苦しむことにも意味があるはずだ。」
「苦悩と、そして死があってこそ、人間と言う存在ははじめて完全なものになるのだ。」
※この記事はヴィクトール・F・フランクル氏の著作『夜と霧』を元に作成しています。
壮絶な内容となっているので、興味がある方は是非読んでみてください。
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