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ハッピーエンド?バッドエンド? 天気の子を観た感想と受け取ったメッセージ

 

天気の子観てきました!

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(C)2019「天気の子」製作委員会

 

 

 

なので、今回は『天気の子』について感じた事を書いていきます!

 

 

追記:小説版も読みましたので、それについての記事はこちら

 

sho2019.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 

1.感想

 

大ヒットした『君の名は。』の新海誠監督の最新作で、現在話題沸騰中の映画、『天気の子』

 

 

観た感想としては、

映像綺麗すぎ!!!

個人的にはストーリーは『君の名は。』より好き!

でも賛否両論分かれそう!

という感じです。

 

 

映像は圧巻でしたね。

水の表現だったり、空の描写だったりはものすごく綺麗でした。

時には実写なんじゃないかというぐらい、リアリティがありましたね!

大袈裟じゃなく。

 

 

音楽を担当したのはRADWIMPS

前作でも世界観を作る一端を担っていましたが、今回も大活躍でした。

RADWIMPSは、せつなく、繊細で綺麗な表現を作るのが上手なので、新海誠監督の作風にマッチするのでしょうね!

 

 

そして、肝心なストーリーですが、僕は好きでした。

主人公の帆高の家出した理由や、ヒロインの陽菜の厳しい環境の理由だったり、割と大事そうな所をあまり描いていなかったのが気になりましたが、そこはそんなに監督としては描かなくてもいい所だったのでしょうかね。

 

 

実際にこの映画は無駄を省いて、伝えたいメッセージだけをストレートに伝える映画という印象を受けました。

それも理由の一つなのか、世間では賛否両論あるようです。

しかし、これは新海誠監督も、自分で賛否両論になると言ってるみたいなので予想通りといったところでしょう。

 

 

とまあ、ざっくりと感想を書いてきたわけですが、もっと丁寧な感想や解説は、僕よりも全然できる人が沢山いると思うので、ここからは僕なりに受け取ったメッセージを書いていこうかなと思います。

 

 

 

2.受け取ったメッセージ

 

 

帆高を応援したくなる理由

 

まず、『天気の子』のパンフレットにこのような新海誠監督のコメントがあります。

 

悩みに悩んで最後に思い至ったのは、狂っていくのは須賀ではなく、帆高なんじゃないかということ。客観的に見て、おかしなことをしているのは実は帆高のほうなんじゃないか。それに帆高と須賀を対立させるとなると、須賀も空の上の世界を信じてなければいけないことになってしまう。でもそれはどうも違う。なぜなら、須賀はアウトローだけど観客の代弁者でもあるからです。須賀はむしろ常識人で、世間や観客の代弁者でもあって、社会常識に則って帆高を止めようとはするけれど、最後はやっぱり味方なんだということにしたんです。帆高と真に対立する価値観があるんだとしたら、それは社会の常識や最大多数の幸福なんじゃないか。結局この物語は、帆高と社会全体が対立する話なのではないか、それに気付けたことが、今回の物語制作でのいちばんのブレイクスルーだった気がします。

 

このコメントを聞いて考え直してみると、確かに客観的にみておかしいのは帆高の方なんですよね。

 

 

しかし、多くの人は帆高を応援して観ていたのではないでしょうか?

高井刑事をはじめとする警察側に対して、憎しみを抱きつつ観ていた人も多いのではないでしょうか?

 

 

この理由は、帆高が主人公だから感情移入しやすいというのもあるでしょうが、一番の理由は、帆高が「僕ら一般人の代弁者」だからなのだと思いました。

 

 

僕らの多くは、それなりにしがらみや不満を持ちながら生活しています。

でも、それを「みんなも苦労しているから」「我慢するのが普通だから」と聞き分けよく受け入れています。

 

 

帆高も僕らと変わらず、普通の人間です。

なにも特別な力はありません。

そんな彼に大切な人として陽菜が登場するわけですが、その大切な人を取り返すために帆高は社会と対立してでも強引に突き進みます。

 

 

帆高=僕ら、陽菜=僕らの理想、警察=僕らの理想を押さえつけるもの

として、描かれているのではないかとも思うのです。

 

 

多くの人は、社会に反してまで己の理想を追いかけようとはしません。

それはリスクを考えれば当然の事です。

しかし、欲を押さえつければ日に日に黒いものが胸の内を満たしていきます。

 

 

それを帆高は僕たちの代弁者として発散してくれていると思いました。

帆高は、警察に囲まれたときに銃のトリガーを空に向けて引きました。

それは、銃弾とともに僕らの鬱憤も打ち出してくれたのかもしれません。

 

 

 

世間を気にしすぎる現代へのアンチテーゼ

 

先ほどの話と重なるのですが、帆高は警察によってビルの頂上に行くことを邪魔されます。

そして追い詰められたときに発した言葉が

「なんで邪魔するんだよ!おれはただもう一度あの人に会いたいんだ!」

と言います。

 

 

帆高としては、他人に迷惑をかけてもいないし、邪魔されるわけが分からないわけです。

当然、警察としては銃を持っているかもしれないし、家出かもしれない等の理由から保護しようとするのは当然なわけですが。

 

 

この場面もそうですが、帆高は基本的に「自分勝手」です。

家出もそうですし、陽菜を助けることも多くの人にとっては迷惑です。

しかしその結果、帆高は幸せを手にします。

 

 

その自分勝手な開き直り精神は、ネットが普及し、他人の目を気にしすぎる現代へのアンチテーゼなのではないかと感じました。

 

 

 

「僕たちは大丈夫だ」の意味

 

最後、陽菜と会って「僕たちは大丈夫だ」というセリフで終わるのですが、この意味はなんなのでしょうか?

 

 

そもそもこの映画は、ハッピーエンドなのでしょうか?バッドエンドなのでしょうか?

それが分かりにくいから、賛否両論になっているのだと思います。

 

 

新海誠監督は、「バッドエンドの作品を作ったつもりは一度もない」とコメントしています。

つまりこの作品はハッピーエンドというわけです。

 

 

「え?でも、東京はずっと雨になって救われていないじゃないか!」

と思われるかもしれません。

そこで先ほどの、パンフレットに書いてある一文を思い出してほしいのです。

帆高と真に対立する価値観があるんだとしたら、それは社会の常識や最大多数の幸福なんじゃないか。結局この物語は、帆高と社会全体が対立する話なのではないか 

 

 

帆高と真に対立する価値観は最大多数の幸福である。

つまり、帆高の幸せは他人を不幸にする選択なのです。

それを新海誠監督は、ハッピーエンドとして描いています。

 

 

つまり、この作品はあくまでも帆高という人間を主人公にした帆高の物語なのです。

世界としてはバッドエンドかもしれないが、帆高としてはハッピーエンドなわけです。

 

 

帆高は「お前のせいじゃない」と言われますが、「確かにあの時、僕たちは世界を変えてしまったんだ」とそれを否定します。

これは帆高が自分のやったことの大きさを受け入れているのだろうと思います。

 

 

自分たちがしてしまったことの大きさと、それをしても取り返したかった大切な人。

一番大切なものを最後まで貫いた自分。

それら全てを受け入れた上で、「僕たちは大丈夫だ」というハッピーエンドなのでしょう。

 

 

 

3.まとめ

 

今回は『天気の子』の感想と感じたメッセージについて書きました。

 

 

観た後にそれぞれ感じる事があると思います。

各々の感じた事が正解だと思うので、一概にこれが正解というのはないと思います。

 

 

また、前作『君の名は。』がすごい評判だったこともあって期待はずれという人もいたかもしれません。

僕は、逆に楽しめましたが!

 

 

とにかく話題の作品なので、一度は見てみる事をオススメします!

 

 

 

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