あなたはどんな時に安らぎを感じるでしょうか?
良い事があった時でしょうか?
友達と遊んでいる時でしょうか?
世界的に良いニュースを耳にした時でしょうか?
もちろん、それらのことで癒されることはあるでしょう。
しかし、こんなこともあるのではないですか?
知人の成功を妬ましく思ってしまうこと。
悲しい時に自分より悲しい話を聞いて癒されること。
誰かの悪口を言うことで、スカッとした気持ちになること。
こんな経験は誰しもがあることでしょう。
片方では悪口は嫌いと言っていながら、ある時は自分も悪口を言ってしまう。
それが、
「悪い事か?」
と問われると、そんなことはないと自信を持って言えます。
人間とはそういうものです。
光と闇、両面を持ってこそ人間でしょう。
光に癒されるのが人間なら、闇に癒されるのもまた人間。
という事で!
今回はそんな「闇」を含む思想家の名言を5つ紹介します!
きれいごとじゃない分、スっと胸に入ってきやすいかもしれません!
1.どんな言論にも、それに対立する同等の言論がある。
セクストス・エンペイリコス
これは今回のテーマとまさに重なっています。
「良い事」を言っているだけが全てではないのです。
それに対立する、言うなれば「悪い事」もまた、正当な主張なのです。
大切なことはその中身だと思います。
「良い事」も中身がスカスカなら、何の意味もありません。
逆に、「悪い事」でもしっかりとした内容なら、それは大きな意味を持つでしょう。
2.我々の自由とは<不完全な自由>である
僕たちが、「自由になりたい」という時、基本的には悪い意味では使わないですよね。
成功か失敗か、どちらか選んでいいと言われたら、殆どの人は成功を選ぶでしょうからね。
しかし、アウグスティヌスは、
「我々にはそのような能力はない。我々は大抵、善を選ぶ余地もないまま、悪の方を選んでしまう。したがって、我々の意志は自由なのではなく、欲望の力に支配されているのだ」
と言っています。
僕たちの「自由」は「本当の自由」なんでしょうか?
3.「私は自分の破滅を愛した」
先ほどと同じく、アウグスティヌスの言葉ですね。
さらに、
「私は私の破滅を愛した。しかも私が破滅する原因となったものではなく、自分の破滅そのものを愛したのだ。」
と続けています。
つまり、「行動の価値は、それ自体の価値よりも、それがどのような意図をもって行動したのかで決まる」ということです。
何かをしようとするとき、自分がどんな気持ちでそれをするのかを意識することが大切なのかもしれません。
4.愚かであればあるだけ幸福にもなる
エラスムスは、先ほどのアウグスティヌス作品の編纂をしていました。
その中で、「知とは嘆き悲しむ人たちの特性であり、彼らは自分たちにとって幸福だと思っていたものが実は不幸の原因なのだと知って嘆く」というような主張をしています。
確かに、賢いが故に悩みが深いということもあるでしょう。
単細胞生物たちには悩みなんてないでしょうからね(笑)
そういう意味では「愚かである」ということも、ある意味では良いことなのかもしれません。
5.愛されるよりも恐れられるほうが、はるかに安全である
なるほど確かに...というような感じですね。
「愛される」ということは人に「求められる」ということです。
その場合、なんらかの形で対応することになるでしょう。
結果としてトラブルになってしまう可能性もあります。
逆に恐れられるという場合は、人が離れていくということです。
そうなればトラブルも少ないでしょうし、確かに安全かもしれません。
実際に、ひどい事件も、加害者と被害者が知人関係だったり、恋人関係であったりと、元々は仲が良かったということが多いですもんね。
恐れられて人が離れていくことが幸せかと言われるとそれは分かりませんが、確かにその方が安全ではあるのでしょう。
今回は思想家の名言を5つ紹介しました。
光と闇、どちらが良くてどちらが悪いという話ではありません。
どちらもまた本質なのです。
その中で何を選択していくか。
それが、積もり積もって自分の人生になっていくのでしょう。
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