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これまでの価値観の全てが覆される! 世界的ベストセラー作品『サピエンス全史 上』

 

 

突然だが、

あなたはこれまでの価値観がガラッと変わるような経験をしたことがあるだろうか?

僕はつい最近、それが起きたのだ。

 

それは、ユヴァル・ノア・ハラリ著の『サピエンス全史』によって引き起こされた。

 

 
 
これはホモ・サピエンス、つまり人間の歴史について書かれている本なわけだが、書かれている内容があまりにも衝撃的すぎる。
はっきり言って、これを教科書にしてもかまわない、むしろしてほしいとまで思う。
それぐらい皆に読んでもらいたい本だ。
 
 
この『サピエンス全史』は上下巻に分かれており、今回は上巻について語っていこうと思う。
ほぼすべての項目が重要と言えるが、それを全て書き出すには限界があるので、僕が個人的に感銘を受けた2つのポイントについて書いていく。
 
 
まず一つ目は「人類の進化は快適な実りのある人生」を我々に与えてくれたか?
というもの。
 
まず人類は初め、狩りや採集をして暮らしていた。
これは誰もが知っている事だろう。
ではその時代の労働時間については知っているだろうか?
 
この本によると当時の人類は平均、週35~45時間、狩りは3日に1度、採集は毎日わずか3~6時間だったという。
生きていくために働く時間は、なんとその後の農耕を始めるようになった時代や現代よりも少ないのだ。
 
だが、これには当然こんな反論が返ってくる。
 
「働く量は増えたかもしれないが、人間は確実に豊かになった。
自然の秘密を解読したおかげで、農業を始められることになったし、羊も飼いならした。
危険で簡素なことの多い狩猟採集民の生活を捨て、腰を落ち着けられるようになったのだ。」
 
と。
 
だが、そうではない。
狩猟採集民も自然の秘密については知っていた。
なぜなら、自分たちが狩る動物や採集する植物についての深い知識に生活がかかっていたからだ。
農耕民は狩猟採集民よりも一般に困難で、満足度の低い生活を余儀なくされた。
 
手に入る食糧の総量は確かに増えたが、それはより良い食生活や、より長い余暇には結びつかなかった。
むしろ、人口爆発と飽食のエリート層の誕生につながった。
平均的な農耕民は、平均的な狩猟採集民よりも苦労して働いたのに、見返りに得られる食べ物は劣っていた。
 
と本書は語る。
 
 
狩猟や採集を主に生活していた当時の人類は、様々な食物に頼って生きていた。
しかし、狩猟採集から農耕へとシフトした時代では小麦にその大部分を頼って生きていた。
なので、災害や気候の問題で小麦が不作な年には、多くの飢え死にする人々が出てきてしまった。
日本の歴史においても、飢饉によって多くの死者を出している。
 
 
だが、その時代があったからこそ今の時代がある。
食糧を手に入れる手段を農耕にシフトしたことは素晴らしい進歩だと、現代人の多くは思いこんでいる。
 
ならば、2000年前に飢えで死んだ子供は
「僕は栄養失調で死んでしまうけれども、2000年後には、人々はたっぷり食糧があって、空調の効いた大きな家で暮らすだろうから、僕の苦しみは価値ある犠牲だ」
とはたして言うだろうか?
 
 
沢山の食料を生み出した「人間の進歩」は、人口を爆発的に増やした。
生物の種としての成功はDNAの複製であり、それはつまり種の生存数で測られる。
その点で見れば、人間は種としての成功を手にしたと言える。
 
しかし、これはちょうど企業の経済的成功が、従業員の幸福度ではなく銀行預金の金額によって測られるのと同じ話だ。
 
 
さらにこんな例もある。
 
昔は数百万頭の牛がいたが、現代ではその数は10億以上に増えている。
これも先ほどの通り、生物として成功していると言える。
 
しかし、多くの人が知っている通りそのほとんどは家畜だ。
野生の牛は平均20~25年生きるのに対し、家畜化された牛は数週間から数か月で殺される。
 
乳牛と役畜は数年は殺されずに済むかもしれないが、その代償として本来の欲望とは無縁の生活を余儀なくされる。
牛にとっては、鞭を振り回す霊長類の下で荷車や鋤を引くより、他の仲間たちと広々とした草原を歩き回る日々を過ごす方が好ましいはずだ。
 
だがこれも再三言っている通り、「種」としては成功していると言えてしまうのだ。
 
 
この話は全体としての成功と、個人としての幸福は全くの別物だと教えてくれる。
あなたはどう思うだろうか?
 
 
 
 
 
2つ目は「人類の向かう先」が予測できるようになるということだ。
これは歴史を学ぶ大きな理由だろう。
 
多くの人は今だけを生きていると思っている。
歴史は受験勉強のために覚えるものだと思っている。
小中高で歴史を学んだにも関わらず、自分は「現代」という昔とは全く別の次元を生きていると思ってしまっている。
 
しかし当然そうではなく、僕たちは過去から未来へと繋がるとてつもなく長い線の上を歩いている。
なので、過去を知ることで未来をある程度予測できるようになるのは当然のことである。
 
 
 
この上巻では文化についての歴史とこれからの行く末について述べている。
まず、第一に文化というものは歴史において、絶えず統一に向かっているというのだ。
 
 
もちろんミクロの次元で言えば、一群の文化が一つの巨大文化にまとまるたびに、別の巨大文化が分裂することもある。
しかしこれらは、一時的な逆転に過ぎず、マクロの次元では確実に統一に向かっているのだ。
 
昔は何千もの社会が、この地球上には存在した。
しかし、現在では数える程度しかない。
これがなによりの証拠だろう。
 
 
現存する全ての文化はこれまでの文化の統一の産物であり、純粋な文化というものは現在、地球上には存在しない。
この流れはこれからも変わらないだろうと本書は述べる。
そして出来上がる形は後期のローマ帝国と似ているという。
 
本書には、
 
特定の国家や民族集団によって統治されるものではなく、多民族のエリート層に支配され、共通の文化と共通の利益によってまとまっている。
世界中で、しだいに多くの起業家やエンジニア、専門家、学者、法律家、管理者が、この帝国に参加するように呼びかけを受けている。
彼らはこの帝国の呼びかけに応じるか、それとも自分の国家と民族に忠誠を尽くし続けるか、じっくり考えなければならない。
だが、帝国を選ぶ人は、増加の一途をたどっている。
 
と書かれている。
 
 
これは調べてみると分かるが、現在、すでにそのような状況になっている。
 
これが良い事なのか悪い事なのか。
それは分からない。
今の文化もそのような統一の結果にあるので、それを悪と否定することは、今を生きる人類すべてを悪とみなすことになるからだ。
 
ただ一つ言えることは確実に時代は進んでおり、このような世界になると予想できるということだ。
 
 
 
他にも、この世界は虚構にあふれており、その虚構が人類を食物連鎖の頂点にした理由であるとか、なぜヒエラルキーが生まれたかなど、様々な視点から人類の歴史を考察している。
 
 
この『サピエンス全史』を読む前と後では、価値観がガラリと変わってしまったことに驚くはずだ。
この本が与えてくれるのは「知識」だけでなく「体験」なのだ。
 

 

 

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