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「“悪”とはなにか」を究極まで追求する衝撃作 『悪と仮面のルール』

 

 

人が小説を読む理由には様々な理由があります。

その中でも特に多い理由が2つあると考えています。

 

1つは単純に面白い物を観たい、体験したいという理由。

これが、人が何かを求める時に最も多い理由なのではないかと。

多くの人が映画や小説、ゲームなどの娯楽品を買おうとしている時、ネットなどで口コミやレビューを参考にしていることでしょう。

人は自分を楽しませるものに飢えている。

 

しかし、人が何かを享受したいと考える時、もう一つの大きな理由があるのではと僕は考えてます。

観たり、体験することで、何か新しい知識や見識を広めたいという理由です。

向上心や未知への体験欲と言い換えてもいいかもしれません。

 

小説を読むことで、映画を鑑賞することで、ゲームをプレイすることで、物の見方や考え方、人に対する思いなど、ただ単純に面白いというだけではなく、物事を体験した上で、なにか1つでも現実の世界に持って帰りたい。

 

 

その欲望に飢えている人に推す小説が、中村文則=著の『悪と仮面のルール』です!

 

 
 

 「“悪”とは何か」を究極まで追求する衝撃作

 

主人公はかつての財閥、久喜家に生まれた現在11歳の子供。

その久喜家には、あるしきたりがあった。

それは『邪』という、世界に不幸のみをばら撒く存在として子供を育てるというもの。

まさに、主人公はその『邪』として、父親に育てられようとしている所だった。

 

主人公には好きな女の子がいた。

それが、久喜家に養子として育てられていた香織という、主人公と同い年の女の子。

香織と次第に親密になっていく主人公。

 

しかしある日、香織が父親に虐げられていたことを知った主人公は、彼女を守るために父親を殺害する計画を立てる。

人間としてやってはいけない行為に苛まれる気持ちと、香織を守りたい気持ちで揺れる主人公。

そこで、一つの思考に辿り着く。

 

 

「僕の中の最高の価値は善でもなく、世界でもなく、神ですらなく、香織だった。

自分の人生における最高の存在を守るためであれば、どのような悪をなしても構わない。

それは正しいことではないかもしれないが、正しくなくて構わない。

最高の価値は、道徳や倫理を超えるはずだと僕は思った。」

 

 

そして、父親を殺害する計画を実行する主人公。

しかし、父親はまさに怪物。

殺されると分かった状態でさえ、主人公を威圧し続ける。

お前はもう人間でいられなくなる、死んだあとお前の中に入り込み永遠に存在し続けると。

 

その言葉が示す通り、主人公は事を成した後、病に倒れ、痩せ細り、まるで老いた父親のような姿になってしまう。

香織は無意識の内に、自分を虐げた主人公の父親と今の主人公を重ね合わせてしまい、体が主人公を拒否してしまう。

それを悟った主人公は、香織を屋敷から別の所へ住まわせ、自分も屋敷から出ていくのだった。

 

 

この濃密さでなんと前編!

 

後編は、自分の過去と決別しようとした主人公が、顔を変え、他人の身分を手に入れて、外から香織を守ろうとする物語。

香織を狙う組織や、蔓延るテロ組織、そして逃れられぬ自分の罪と『邪』の血筋。

本質的な悪とは?その連鎖とは?

“悪”として創られた男が、最後に下す決断とは?

 

 

そんな物語となっています。

 

 

中村文則さんの小説で、僕は小説を読むようになったと言っても過言ではありません。

彼の作品は、いつも何かについてとことん突き詰める。

この作品のテーマは「悪」。

 

戦争の裏にはいつも利権が絡んでいるというような、現実の話を媒介として、様々な、主に精神的な悪について語っていく。

 

例えば、

 

「勝手に他人の音楽とかを大量に配信してる連中の無意識にあるのは、プロフェッショナルへの侮蔑なんだ。

これは何もカルチャーだけじゃない。

今、多くの人間が、あらゆるものを侮蔑したがっている。

侮蔑できる対象を無意識で探してる。」

 

 

や、

 

 

「日本に一発でもミサイルが激突してみろ。

一瞬でこの国の世論は変わる。

平和憲法など吹っ飛ぶ。

被害者の数が報道され、その家族の悲しみが連日報道され、国民の全てが、北への憎しみの温度で沸騰し、被害者の家族達に完全に同調する。

人々は善意を根底に置いた時、躊躇なくその内側の暴力性を解放する。

まるで善意によって、その暴力性の解放を赦されたように。」

 

 

など、思わずハッとさせられる言葉の数々。

 

また、中村文則さんの作品は度々、「無意識」がテーマとなっています。

 

自分たちの中に潜む無意識。

自分で選び、自分の人生を生きているように思えて、実はそれさえも操られているのではないか?

自分が気付いていないだけで、大きな渦のようなもの、言うなれば運命というようなものに飲み込まれているのではないか?

 

そのような、自分でも気づかないような深層心理について深く考察されている人だからこそ、彼の作品には毎回「なるほど、そんな考えもあるか」と思わされてしまうのでしょうね。

 

 

ほとんどの人は生きるために、自分を取り繕うための「仮面」を被っています。

しかし、自分の中の悪を認め、自分を装う仮面を外した時に初めて、自分にとっての最高の価値に気付けるのかもしれません。

この物語の主人公、久喜文宏のように。

 

 
 
 

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